火の鳥

Phoenix

COM   1969年8月号〜1970年9月号



手塚治虫 著


火の鳥を最初に読んだのは小学生の時だったと思います。           
兄が漫画好きで家にはずいぶんと漫画の本がありました。           
その中に手塚治虫の『火の鳥』もあったのです。その中でも私にとって一番印象深かったのがこの「鳳凰編」です。
奈良時代、我王という野生児と茜丸という彫刻師、この二人が時の権力に翻弄される様を描いた物語です。
高校生の時に読み返し、それからは2、3年に一度は読みたくなる作品です。これは火の鳥全体に言える事かもしれませんが、輪廻や煩悩といった仏教思想が色濃く作品を覆っています。
この「鳳凰編」のおかげで梅原猛や中村元の仏教本を読むようになりました。そしてそれは現在にいたるまでの私の思想の原点でもあります。
主人公の一人我王は生まれてすぐに片手を失う程の事故に会い、みにくい顔になってしまいます。それゆえに村人からひどい迫害を受け、我王の心もみにくく歪み、やがては人殺しも平気な人間になってしまいます。
しかし、そんな我王を一変させる出来事が起ります。
村人を殺して逃げる時に一匹のてんとう虫を我王は助けます。そして逃げる途中で出会った女、速魚を強引に連れ去り自分の妻にしてしまいます。
その速魚が裏切ったと勘違いしてしまい速魚を殺してしまった時、実は速魚はあの時のてんとう虫だった事が分かります。
我王は自分の中にある優しさを信じた唯一の相手を自ら殺してしまったのです。その後出会った良弁僧正から生命の大切さを教えられ、我王は無私の心に目覚めるのです。
後半にくる東大寺大仏建設を中心に壮大な物語が読む者をその世界に引き込みます。
日本には古来から自然崇拝の伝統があります。一木一草にいたるまでに神が宿っている、自然の中に神がいる。この神とは自然を敬い感謝する気持ちの比喩なのだと
思います。自然への畏敬をあらわす言葉として神と呼ぶのだと思います。
火の鳥はこうして私に強く影響を残す作品となりました。おそらく生涯を通じて読み返し続けるでしょう。