カメラマンはマイクがフレームへ入るのを嫌がり、少しでも遠くへとマイクを追い
やる癖がある。それに反して録音の立場としてはマイクを少しでも近くへ持って行き
たいと思う。ドラマの場合はテストがあるのでかなり、いい線になる。それでもラッ
シュを見るとまだまだマイクを寄せられることが判り、次からはカメラマンの言う位
置より近づけて採るようになる。
ドキュメンタリーでも、最初のラッシュを見て、はじめてカメラマンのフレームを知
ることになる。しかし、ドラマに多い映像至上主義と違い、映像と言葉のどちらも大
事と知っているので、テーマを共有さえしていれば、お互いに立場を理解するのは早
い。
インタビューは内容が判るように採らなければいけない。方言ならそれなりに採れ
ばいい。内容がどんなに良くても聞き取れなければ意味がない。良い音で採り、正確
に編集する事が相手に対しての礼儀であり、信頼関係を作ることになる。少しでも良
い条件でマイクを出していると、たまにマイクがフレームに入ってしまう事がある。
このあたりがカメラマンとの闘いになる。ドキュメンタリーではドラマと違い、細か
いカット割りがない。話し言葉も理路整然とはいかないからカットが長くなる。つま
り編集で使うのはごく一部なのである。すべてにマイクが入らないような消極的な事
より明瞭に採る事が最低条件だと考えた方が正解なのだ。テーマの共有がそれを可能
にしてくれる。良い内容の時は良い顔をしているとカメラマンは言う、彼も表情を見
ているのだ。それはロングではないという事である。カメラマンもまた長いカットの
中でサイズを変え、アップ、ロングと考えながら回しているのだ。遠慮してマイクを
フラフラさせている方が、お互い迷惑になる。すばやい決断が要求される場面である
。
マイクが近すぎて話し辛いだろうと遠慮してはいけない。それで明瞭さがなくなった
ら話した意味がなくなる。結果的に信頼を裏切ったことになる。話を明瞭に、正確に
採る事が大事なのであって、下手な気遣いは本当の親切とはいえない。作品になれば
よく判る。