No.2 音とは

 我々が映画でいう《音》とは全て、マイクを通して記録されたものだけを言う。  一般的には耳で聞いた生の音=その物を、<音>と言っているのとはこの点が大きく 違っている。つまり、現場で演技を見ながら聞こえてくるセリフは時間と共に消えて いく幻に過ぎない。マイクを通して記録されたものだけがセリフ、或いは効果音とし て固定される。
 我々がマイクを選び、ヘッドホーンで確認しているのはそのためなのだ。

◇ドラマのあるカット
 役者というよりタレントの女性が悲しい場面で、セリフを言っているがマイクを通 してほとんど聞こえてこない、もちろん台本があるから私にはセリフの内容は判って いる。息ではなく、きちんと発音して声にして欲しいと注文してテストをする。何度 やっても聞こえない、マイクを顔のすぐ近くに置いても聞き取れない。
 彼女に聞いてみた。「悲しい時の感情になってセリフを言うとはっきりと声に出し て言えない」のだという。
彼女は<現実>と<演技>の違いを勉強していない素人で、まわりからは普段のまま の感情でやればいいと言われていたのだろう。しかし、セリフは必要があってライタ ーが書いているのだ。(テレビでは必要のないセリフがかなり多すぎる。)悲しい気 持ちをこめて、セリフを声にして出すのが<演技>なのだ。どんなに努力したとして も聞こえなければセリフとはいえない。監督と相談してセリフはなくしてもらった。

◇ 無声映画からトーキーになり役者はセリフを言わなければならない状況になった 。音が重要になった。アップになるのは主役で敵役など目立とうにも方法がなかった 。撮影の時、敵役のセリフが聞こえない。当たり前のことでマイクが遠く、ブツブツ 言うその人の声は聞こえない。テストをやっていくうちにマイクが段々と近づき、や っとセリフが聞こえるようになった。気がつくとアップになっていたという。わざと 低い声でセリフをいえばマイクで採れない事を逆手にとり、アップを狙ったといわれ ている。うそのような話だが、その役者は人気が出た。私が子供の頃は時代劇に欠か せない人になっていた、それでもブツブツいうセリフは何を言っているのか分からな かった。

 声にも感情がある。大きな声にも、小さな声にもそれなりの感情がある。だから我 々は大きい声は大きく、小さな声は小さく採るようにマイクポジションを考えている 。ささやきはささやくように採り、波は大波、小波、せせらぎと判るように録音する 。レベル計が常に一定になるように採るなどと言う人がいるが、私は耳で聞こえるよ うに採るからレベル計の針がほとんど動かない時もある。
 人や動物、自然・・それらを表現できるように音を採ることが一番大事なことで、 それが基本なのだ。

風がボコボコ

 テレビのドキュメンタリーや旅番組を見ていると、かなりの頻度でボコボコという 音が聞こえてくる。これは風に『吹かれた』マイクの雑音である。かつてはこの雑音 を拾わずに目的の音を採るための工夫が録音泣かせだった。現在使われている風防・ ウインドウスクリーンは夢のような道具で、大いに助かったものだ。マイクを吹かれ ることは録音の恥だった。その音を使うなど考えたこともない。

 テレビクルーが大きく変わったのは80年代末頃で、それまでは監督、撮影、録音、 照明の各パートがいた。カメラの改善と人件費節約で、一人でカメラを担ぎ、レポー トをする<映像ジャーナリスト>という職業が作られていった。功名心を持った若者 たちがうまく乗せられ、仕事の内容も、技術を持たないままカメラをまわした。
一人でやると言うことは、各パートの技術までも知らなければ出来ない事を理解して いなかった。そのまま時間が過ぎ去り今もなお理解していない。カメラを回すことは 映像を撮り、音も採ることである。
 録音に関してテレビカメラはあまりにもお粗末である。スタッフもまた音を知らな い。そして最悪なのは映像と一緒に音が入ってくる事である。その音を現場の状況音 と誤解しているからボコボコとマイクが風に吹かれてもリアルだ等といえるのである 。使われ始めるとまわりも使い、定着してしまう。もはや<音>を採る意識は無くな っている。

★「ABCアフリカ」01監督キアロスタミ
 デジタル・ホームビデオカメラでロケハンした時の作品である。カメラについて的 確な判断をしている。
 『デジタルカメラはとても自由だった。カメラを廻している自分の存在も消える感 じなんだ。デジタルカメラはすごい発明だと思う。でも誰もまだ正しい使い方が分か っていない。便利な分、つい廻しっぱなしにする危険もある。ただなんでもかんでも 記録し棚にしまいこんで二度と観ないじゃ、大切な物を発見できやしない。だから僕 なんか、もしフィルム代も現像代もかかるならって言い聞かせながら撮影してるよ。 ……音の面では一寸苦労しました。』