No.4 腕、或いは腕前

 私が三里塚の小川 伸介監督を離れ、初めてドラマの録音助手として使ってくれた のが加藤 一郎さんだった。渋谷の喫茶店《ロロ》で会った。ドラマのマイク振りを した事もないのに良く使ってくれたと思う。
 当時録音部は4人体制で私は一番下だった。同じメンバーで何本も仕事を続けた。 私はマイクコードの掃除から修理、機材の準備、何でもやらされた。先輩助手たちは いかにも映画屋という感じだった。ドキュメンタリーの世界とはまったく違っていた 。チーフはキザで、まるで役者みたいな服装をしていた。夏は白いダブルのスーツを 着ていた。大きな外車も持っていた。仕事はほとんどしない、若い女優と話をしてい るか、撮影所内の喫茶店にいた。それでもツボは心得ていて大事な時には顔を出して いた。それほど場数を踏んでいた。その後プロデュウサーになった。
セカンドは少し変人だったが腕はすごかった。いつも木綿の白い手袋をしていた。新 しい作品に入ると私は製作部へ行き白い手袋をダースで貰ってきた。彼は生涯、録音 助手を貫き、私が技師になってからも助けてくれた。悲しいことに自殺してしまった 。
私たちは現代物から時代劇まで何でもやった。しかし私の腕前は上達せず、加藤さん からいつも怒られていた。

★ 時代劇・雨の中の立ち回り<殺陣>:プールからポンプで土砂降りの雨を降らせて いる。浪人達の斬り合いの叫び、そこに主役のセリフが一言あった。私は雨の中へマ イクを出してセリフを採ろうとした。大失敗だった。マイクを水の中へ入れたような もので怒られた。マイクは湿気とホコリに弱い。岩波映画では使用後に必ず乾燥剤を 入れたガラス容器に入れ保管した。

★ TVドラマ 富士山麓の青木ケ原にはいくつも風穴がある。大きな風穴の中で一日中 撮影をしていた、内部は地下水があり、天井からは水滴が滴り落ちていた。予防にカ バーを付けていたが半日でマイクにノイズが入りだした。そしてついに湿気で通じな くなってしまった。宿に帰ってから湿気をぬぐい乾燥剤が入った容器に入れた。
地方ロケの時は乾燥剤とビニール袋を持っていくと便利だ。

★ セットで移動撮影:部屋の中を歩きながらセリフを言う。テストを繰り返し、本番 。歩きとタイミングが合わない、役者の方で歩みを止め、マイクを待ってくれた。O Kが出るとチラッと上を向き、うまくいったかいと言うようにうなづいてくれた。主 役の芦田 伸介さんである。マイクは常に先行していなければ、面を合わせてセリフ を採れない。セリフを覚え、動きもテストで確認しておかないと先行できない。
こんな失敗は山ほどある。

 あらゆるジャンルの仕事をし、経験を積みやっと技師になる。時間はかかるが失敗 を許されない技師になるには必要な経験だと思う。

 下手なマイク振りだったが今の若い人よりも腕は良いという自信が、今でもある。  条件の良いビデオになってから確実に腕が落ちている。工夫して採らなくてもそこ そこの音が入っているし、ワイヤレスを付けるとマイクを振ることがない。フィルム のように試写室で恥をかく事もない。劇場で何度も上映される事もない。
 腕ではなく、機材が仕事をしてくれる。