No.12 音付け

 同録の編集ラッシュには基本的に音が付いている。音があるからすべてを使うわけ ではない。また音がないカットもある。
 「音付け」は全体の音構成をたてることである。すでにある音の可否を検討し、新し く音を作っていく。ドキュメンタリーでは現実音を基本的に使って構成する。映像に 合わない時、より合うように別の音をつける事もある。ドラマでは効果音を担当する パートがある、効果屋さんという。町の音、車、などの現実音。足音、殴り合い、刀 の切りあい等の生音(ナマオト)。あらゆる音を作れるプロである。足音などは一人 で三役くらい朝飯前、一人でキスシーンまでやってのける。

「全身小説家」 監督 原一男 
この作品はドキュメンタリーだが効果屋さんがついている。現場で採って来た録音テ ープを渡し、ドラマ並に音をつけて貰い、さらに予備を追加した。ダビングでかなり 削り、ドキュメンタリーらしい雰囲気までもっていった。

「教えられなかった戦争」 マレー編
          監督 高岩 仁 
マレーシアで聞く鳥や虫の声は日本と違い熱帯地方独特の雰囲気があった。日本の侵 略で親兄弟を殺された人達のインタビューを伝える事も重要だが、風土を伝えること も大事だと思った。私はこの過酷な密林で死んでいった日本軍兵士を思うと悲しく、 戦争という国家の行為に押しつぶされた祖父・父の世代の叫びも伝えたかった。
 生き物の他にジャングルの雰囲気、バナナ畑の風、町のノイズ、いくつもの音を採 り、より典型的な音を選んでつける事にした。

 ドキュメンタリーの場合どうしても“しゃべり”を中心に音を採ることが多い。彼 が何を考え、云いたいのかが判らなければいけないし、ドラマのようにシナリオがあ って、セリフがあるわけではなく、生の人間が、いつ、どこで、どう話しているかを現 実に録音しなければならない。ドラマがセリフという骨格だけを取るのに対して、ド キュメンタリーでは、その人の、その場所の骨格から服装、息づかいまで入ってしまう 。それが思わぬ効果を生む事があるし、現実音が入っていることで惑わされる事があ る。現実に起きていながら、現実にはしゃべり本位で採れなかった音、現実をより表 現できる音…効果音<現実音>

 加藤一郎さんの助手をしていた時、効果音や音楽など、音についてよく教えて貰っ た。いい音を知りたいなら生の音楽を聞け、音をイメージしたいなら映画ではなく小 説を読み文字から音を聞け、と言われた。レコードはミキサーなどによって作られた 加工音であり、主観的な音質である。映画などの音は参考にはなるが納得してしまう ので自分の音を作るまでにはならない。

 久保田 幸雄さんの音楽録音についたのは、ごく初期の頃だった。景気のいい頃で 映画音楽は作曲され、スタジオで楽士が一堂に集まり録音が行われていた。音楽の入 るシーンが映写され、それに合わせて演奏される。監督、作曲家、録音技師がテスト を繰り返し、検討している。自分にこんなことが出来るだろうか、と思った。
 技師になってから、民謡からクラシックまで録音出来るようになったのも先輩達を 見ていたからだと思う。

「思い出のアン」 監督吉田憲二
音楽を愛する宣教師一家が敵国人として強制送還される。ミサやコンサートシーンが いくつもある。クリスマスにオルガンで合唱するシーンは録音部が先乗りして音楽採 りをした。古い教会に50人ほどの村人が集まった。私達は朝から教会ホールの反響 を調べマイクポジションを決めていた。クライマックスとなるコンサートでは監督と カット割りをした。譜面を見ながら曲を聴きカットを決めていく。録音助手と記録の 女性も譜面を読め、ピアノが弾けた。私も少し読めた。
 民謡歌手の地方巡業を採った事もある。

 町場のスタジオで働いていた時は、アニメの音付けをした事もある。独特の音はほ とんど手作りだった。やってみれば面白いもので、よく徹夜をした。いろんな物を使 って音を作った。「ゴジラ」の録音技師 飛田さんに色々教えて貰った。ミキサーにな りたての私をサポートしてくれた。
このスタジオにはコンピューターがあった。真空管なので洋服タンスほどの大きさだ った。パッチコードで接続する簡単な物だった。不思議なもので私は計算尺も使った し、手回しの計算機も使った経験がある。技術の発展が早すぎる。

☆ 「・・工芸一般に関していえるのは、必ず最初の方が手の込んだ手間をかけた几帳 面なものを作り、後はだんだんと手抜きとなり雑な物を作ると言う傾向である。技術 面のみを考えるとだんだんと向上し、新しい物が生産されるのであるが、技術的な事 ではなく、手間ひまをかけるか否かということに関しては、どうも初期の方が気合が 入っている。」 やきもの文化史 三杉隆敏著

 技術の発展は、近代科学によるものと思われがちだが、ある時代に頂点に達する事 がある。焼き物でいえば桃山時代に大輪の花が咲いた。漆は縄文時代に現在と同じ技 術に到達し、以後衰退した。
 映画の機材が一気に発展し、人間が機材に使われるように見える。機材は使い込み 、自在になってから工夫が生まれ、そこに技術が生まれる。日替わりで機材が変わる スピードでは使いこなすまでにはいかない。