サブウェイ・パニック

The Taking of Pelham One Two Three

1974年    アメリカ映画



監督       ジョセフ・サージェント
脚色       ピーター・ストーン
撮影監督     オーウィン・ロイズマン
音楽       デビット・シャー 

ガーバー警部補   ウォルター・マッソー
ブルー       ロバート・ショー 
グリーン      マーチン・バルサム


最初に見たのが公開時だから、もう29年前の作品である。
ニューヨークの地下鉄を乗っ取ったロバート・ショー演じる犯人達とウォルター・マッソー演じる警官との攻防を描いた佳作である。
この映画に引かれる要因の一つに、撮影の素晴らしさがある。
もちろん小気味よいテンポの演出も素晴らしいのだが、この映画のルック(画調)が実によく内容にマッチしていると思うのだ。
おそらく舞台の地下はもちろん、屋外のシーンもフィルムを増感現像処理していると思う。その粒子の荒れが、物語の現実性を倍加させている。
観客に正にこの出来事の目撃者になっているような錯覚をさせるのだ。
撮影監督のオーウィン・ロイズマンは『フレンチ・コネクション』『エクソシスト』でその名を知られるようになった人だが(この『エクソシスト』の開巻から10数分の緊張感は今見ても素晴らしい)、その画調を継承している。
地下鉄の車両内や駅はおそらく実際そこにある光りのみか、役者のアップ時に弱くライトを使っているのみであろう。当時のフィルムとレンズではどうしても光量不足になってしまう。それを補う為に増感したのであろう。アメリカ映画の規模であれば充分なライトをセットして撮影に臨む事は可能であったろうに、あえてそうしなかったところがミソである。全編を増感のルックで統一するこで物語りを引っ張っていったのだ。
私も実際に増感や減感(増感の逆で現像液から早くフィルムを出してしまうことで実現する)等はよく経験しているが、この映画によって気付かされるのは、フィルムの「感度」というのはあくまでメーカーが「この露出値ならばきれいに写ります」という目安にすぎないのだという事である。キャメラマンは物語りにその作品を見る観客が没入してくれることを企むのだ。
画家がキャンバスや絵の具によって個性を表すように、キャメラマンもフィルムというキャンバスを自分の表現の為にカスタマイズするのだ。