記録映画の録音—というタイトルで土本監督が録音技師の本間さんと対談している。
土本—劇映画の録音と記録映画の場合の違いは
本間—劇映画はあらかじめ脚本が決められており俳優さんがそれを演じるわけ
ですから、録音機材およびマイクの位置などは脚本や演技を見て設計で
きます。むろん画面に出しません。
問題は記録映画やドキュメンタリーの場合なんですけれども。音を採
るということは今では誰にでも出来ることですよね。これだけいい録音
機が普及してますから。ただその採り方・心得です。マイクやカメラも
そうですけど、誰かにそれを向けるということは、相手にとっては武器
を向けられたような気持ちにさせますよね。向けられた相手にとっては
本来非常に辛いことなんです。だから、なるべくマイクを直接に向けま
い向けまい、それでいていい音が採れないものかと、いつもマイクポジ
ションの調整に気を使うわけだけど、そこがとても難しい。・・・
<私の考え>
マイクは武器であるーその通りだと思う。だからこそ相手から逃げてはいけないの
だ。および腰であってはいけない。ドキュメンタリーでは、相手はカメラとマイクに
対して敢然と戦っているのに、それらを持つ我々が逃げ回ったり、無関心でいいのだ
ろうか。私はそんな相手に対して自分に出来る事は、キッチリとその気持ちを受け止
めるしかないと思う。つまり、マイクを彼の前にしっかりと出し、あなたの言う事は
私がキチンと採っていますと表現する事が信頼につながるのではないか。
マイクは武器である。しかし、逃げ隠れ、相手をたぶらかすような受身の物ではな
い。
自分がどんな立場にいるか、相手とどんな関係なのか、そんな心をはっきり示すのが
マイク・ポジションであり、行動だと思う。