No.19 「戦ふ兵隊」の録音
 JーNo.4 89/6月
監督 亀井文夫
録音 藤井慎一

 「戦ふ兵隊」の録音はどうやったのだろうかと常々思っていた。過酷な状況の中で あれだけの音を採れるのだろうか?直接お話を聞きたいと思い、ある日、藤井さんに 電話をした。
 89年春 
80才という藤井慎一さんは元気に玄関まで出迎えてくれた。10年位以前になろう か、スタジオに勤めておられる頃にお目にかかって以来である。
昭和13年1938、「戦ふ兵隊」の頃、東宝は技術開発、自社での機材製作が行わ れており、機材的には恵まれていたという。第1製作は劇映画、第2製作は文化映画 と分かれていた。技術部門もソフト、ハードに専門化され、藤井さんはハードの録音 責任者で、すでに結婚していた。
 3部作、「上海」38 「北京」38 「南京」、そして「戦ふ兵隊」と現地録音 を氏がやるようになったという。当時スタッフは各パート一人で助手は現地で中国人 や兵隊に手伝ってもらったという。なぜ藤井さんだけが忙しかったのかというと、専 門化されたソフト出身のミキサーでは過酷な条件である戦地の中で、機材の保守・録 音と一人で出来る人材がいなかったということらしい。
 「上海」の後も現地に残り、引き続いて「戦ふ兵隊」の現地録音を続けた。撮影助 手が必要になり、瀬川順一さんが新たに加わった。
時には録音助手もやらされたようだ。
 マイクはRCAのインダクターマイクとベロシティを使う。録音は光学録音でシン グルとダブル方式があった。藤井さんはこれら一連の仕事をシングル方式(カメラは バルボ)で、自作のバンドパス3段階を使い、500Hz以下をカットした。

 音の採り方は同録以外にもかなりのオンリーを採ったという。戦地とシングル方式 という二重のハンデを追いながらオンリーを採ることは、熱意と心の余裕がなければ とても出来ない。カメラマンもよく協力してくれたと思う。ビデオカメラはシングル 方式である。フィルムのシングルに較べたら非常に簡単だが、それでもオンリー採り を快く協力してくれる人は少ない。原因の一つにオンリーを知らない事がある。当時 はポジフィルムに取り替え、カメラを廻して音を採るのだから大変な仕事だったと思 う。

 現地では、亀井監督と同室だったのでよくこの音を採って欲しいとか、こんな音が 欲しいと言っていたという。
 戦車が走ってくる、砲声が鳴り響く・・これらはオンリーで採った。大砲はかなり 近くで採った音がいたる所で数多く使われている。ダビングではシネ3本出しで音作 りをしたという。
 インタビューは勿論、中隊本部シーンも同録だという。中隊本部はベロシティ・マ イク1本で、フレームぎりぎりの所で、手持ちで採った。グリップノイズもないし、 出入りする兵士や外部の雰囲気音もよく採れているので、どうやって採ったのか不思 議で仕方なかったが、藤井さんは事もなげに「何も難しい事はなかったよ、兵士達や 外のノイズも勝手に入ってしまった」という。中隊長からマイクまでの距離は3メー トル位あるがブームは使っていない。兵器を修理するヤスリの音、軍医のメス研ぎ、 これらは同録である。進軍する荷馬車が川を渡る水音もオンリーだという。戦地であ ることを考えると全く驚くべき余裕と情熱である。
歩哨の交替が行われるロングシーンがある、これは同録ですかと聞くと、にっこりし て、「あれはオンリーですよ」といわれた。
本番後すぐオンリーでセリフを採ったという。私は同録だと思っていた。
延長コードは30メートルを2本持っていったが減衰するのであまり使わなかったと いう。必要な時は中間にプリアンプを用いて20db位かせいだ。何度か使われてい るロバの鳴き声は、ロバが鳴くとその都度コードを伸ばして採っていた。
ミサはベロシティで同録と一部オンリーで採っているがマイクは一本である。軍楽隊 も1本のマイクで同録。
ロングの映像にはロングの音を採るなど、たとえ戦地で条件が悪くてもドキュメンタ リーとしての録音を心がけたことに心うたれた。