渋谷昶子

渋谷昶子

しぶやのぶこ

映画監督 (映像演出・企画・構成)

日本映画監督協会会員 (2015年時点)

日本アカデミー賞協会会員 (2015年時点)

1932年3月8日 旧満州大連生まれ 昶子命名の由来は、春のように日永にのんびりと育つようにとの両親の願望によるものだったとか。 12才で敗戦、一瞬のうちに全てが一変する。 国家権力のむなしさを痛感する。 その時「一切の権力を否定する」思想の原点が形成される。 帰国後、1951年鹿児島県立鶴丸高校卒業(第2回生)。 中央大学法学部に進学。 男尊女卑の環境の中で、弱き女性の立場を擁護すべく弁護士たらんろ大志をいだいていたのだがー ある日の新聞記事でスクリプターの紹介を読んだとたんスクリプターに憧れ、軽佻浮薄の動機つまり カッコイイと転身を計る。 苦節たった2年でスクリプターになる。 時に23才であった。 監督今井正、山本薩夫、家城巳代治、五所平之助諸氏より薫陶を受ける。 29才、突如として監督になりたい想いに駆られ自らフリーの監督を宣言をする。 周囲の人々はあきれはてていた。 しかし、何故かチャンスに恵まれ、コマーシャル、ドキュメンタリーの監督の仕事を始める。 1963年、当時の日紡貝塚バレーチームのドキュメンタリーを撮る。 1964年のカンヌ映画祭に出品、短編部門で日本初のグランプリを受賞する。 その後もフリーの監督としてマイペースの仕事をつづける。 対象とするのは、常に「人間」である。 2016年 没

主な作品経歴
「挑戦」 日紡貝塚
1964年 カンヌ映画祭短編部門グランプリ
「東京オリンピック」
「すばらしい世界旅行」 日本テレビ
「1200万人の交響曲」  九州電力
「はばたけ夏の朝に」 全国農協中央会
「みなと みらい 21」 横浜市
「地獄の特訓-女子管理者養成学校-」 日本テレビ
「愛は地球を救う-特集・老人問題-」 日本テレビ
「ひろしまは いま 1987」 広島市広報室
「かもめが見た日 港が輝く」 横浜市
「燃えよ やさしさの中で」 奈良市
「少年とにんじん」 全農広報
「八十二才 北林谷栄 凛々と舞台に生きる」 NHK
「百才の恋心-新内・岡本文弥の艶-」 テレビ東京
『鏡のない家に光りあふれ』 自主製作
96年短編教育映画祭優秀作品賞・文部省選定
「いま、男たちが変わりはじめる」 東京女性財団
「元気老人アワー」 テレビ東京
「Kaneko」ー兼子ー 「Kaneko」ー兼子ー制作委員会
「サッちゃん 作曲家・大中恩の世界」 紀伊國屋書店
CM作品 「レナウン」「フジフィルム」「セイコー」
「ペプシコーラ」「コーセー化粧品」
「日本生命」etc
『課外授業、ようこそ先輩 岡村喬夫』 NHK
『蝶々夫人は悲劇ではない
-オペラ歌手岡村喬生80歳 イタリアへの挑戦』
NHKBSプレミアム