映像とセリフ(会話や現実音)を同時に撮影・録音する事を同時録音という。
私が小川伸介と出会い、映画の世界に入った頃のドキュメンタリーでは、同録は夢
の世界だった。お金がかかる事と撮影条件が困難だった。カメラがまわるとガラガラ
と音をたてるから、同録の時は音を遮蔽する大きなブリンプを被せなければならない
。カメラが大きくなれば三脚も大きくなり、機動性がなくなる。アリ16BLを使っ
たとしても日本人にはやはり大きい。マイクも指向性のあるガンマイクを使うことに
なる。これらの機材をレンタルするとかなりの金額になる。初めて使ったマイクはエ
レクトロボイス社製のガンマイクで、その名のとおり機関銃のような格好をしていた
。
70年代にニュース取材用などに使われた同時録音が出来るカメラはキャノン・ス
クーピックだった。シングル方式といわれフィルムのエッジに磁気粉末をコーテング
し、映像と音を撮る事が出来た。磁気録音がなかった頃は光学録音で同録をしていた
。
☆「戦う兵隊」 1940
監督亀井文夫、録音藤井慎一
藤井さんに現場の様子を聞く機会があった。カメラの下に光学録音機が付いたかなり
大掛かりな一式だったという。構造は映写機と同じだ。映像をレンズ面で映し、下部
の光学装置で録音する。このような装置が撮影現場で使われた。しかもこの映画は日
中戦争中の戦場での記録である。マイクの性能も今ほど良くない。
ビデオカメラは小型でテープも長時間撮影出来るようになった。音もしない。最近
のビデオカメラの場合、撮影・録音という専門よりも、そのような機能を持った機材
を操作するオペレーターに近い。カメラマンではなくカメラ番といわれる所以である
。経済効率一辺倒の結果であり、それに抵抗しなかった現場側の責任でもある。
一般的にはダブル方式が採られていた。映像はカメラで撮り、セリフは録音機で別
取りをする。映像とセリフを編集であわせる為にカチンコが使われているおなじみの
方式である。撮影部と録音部という専門職が分業で仕事をするスッタフ編成がとられ
る。録音機はナグラ(スイス製 6ミリテープ使用)が使われた。編集のためにシネ
フィルムにリレコされフィルムと合わせられる。
同時に撮るから同録といわれている。セリフの時はそれで完了するが、それ以外の時
、例えば風景などでは少し違ってくる。特にビデオの場合気をつけないと映像と音が
チグハグになる事がある。ビデオカメラは音も同時に採れるようにカメラにマイクが
付いているためである。カメラ位置の音が一番良くはいるから、道路から山を撮ると
車の音、海岸から山や町を撮ると波の音、となり映像とは違った音になる事が良くあ
る。マイクを出す前にまわりを観察すると、音は空にも、右にも左にも、足元にも、
それぞれ違った音がある。空間すべてに音は存在している。どの音が映像に合うか。
それを選択出来るのは人である。録音部が必要な理由はここにある。セリフも聞こえ
ればいいのではない、マイクの面を合わせ音質のいい音を採る事が作品を良くするの
である。シングル方式であっても録音部がいるのといないのとでは雲泥の差が出る。
音にうるさいと言われる監督でも、本当に音を考えてくれる人は少ない。
同録であっても、そこにある音を機械的に採るだけではない、音を選んで採るのが
<録音>なのである。
☆ 録音技師 西崎 英雄さん
助手に「鳥の声は季節、時間によって違う」といった。日の出前に鳴く声、午前、
午後、夕方、聴き較べてみるとやはり違う。事実と違う音をつけても平気な人がいる
。その土地にはいない鳥や蝉に気がついた人もいると思う。
私の尊敬する人である。
「音は入れる事より抜く事の方が難しい」ともいう。にぎやかに音を溢れさせるよりも
、必要な音を効果的に入れ、限りなく沈黙に近づける事は創意と勇気の要る作業であ
る。私は編集の段階でイメージを膨らませ、いくつもの音を付け、仕上げで絞り込ん
でいく。1/3位は捨てている。
☆PB撮影は擬似同録・・ 録音した音楽に合わせ演技するのも、苦しまぎれに考案
された方法なのかも知れない。
「映画はいきものの仕事である」
土本典昭著
「映画は画と音だと小川伸介はいつも強調する。その二つの要素によって表現され
るのだと。これはあたりまえと言われるかもしれない。しかし映画はこの二つがいわ
ば自在になったときにその虚構性において、その作為性において、大いに映画的真実
から遠のいたことも事実である。ある有名な作家のテクニックに付いての述懐として
、『編集で60点にいっていれば、セリフ・録音で70点、音楽をつけて80点、あとナ
レーションを入れて100点』と冗談めかして言われたことがあるが、私はこれに深
い疑問をもつ。映像で100点でないものは、音を入れても、ナレーションを入れて
も、100点にはならないのではないだろうか。ときに、音を入れナレーションを入
れることで映像の豊かな内容に観念や感性上の枠をはめるのではないかを恐れる。一
つのシーンは時に事件をうつしながらもそのひとりひとりの人間を語り、あわせて、
その風土を包み、その群衆の心情の美しさを描き、又動きの変化のモメントを呈示し
ているなど多層である場合がある。・・
小川伸介の方法は、同時録音による表現である。撮影現場で、カメラと録音、そして演
出といった三ポジションが一つの表現対象に向かって的確に作業するには、ある人物
が、次に何を行為し、何をしゃべりだし、何ゆえに変貌していくかについて共通の洞
察力と感応力を必要とされる。音とカメラが別々のポジションを取り、時をずらして
対象把握するなら、その編集、録音にはまだ再創造の余地と計略が残り得る。しかし、
同時録音でスタッフが一体に目に見えぬ紐でくくられた撮影では、そのシーンは、その
現場ですでに100点の表現行為が果たされなければならない。それでいて、テーマ
も劇性も、真実も、情況もすべて述べられなければならない。・・
映画における記録の主体はスタッフにしかなくドキュメンタリーはそのスタッフの
全時間の対象化、外化に外ならないと考える。映画は作ろうとして作るものではなく
、産まれるものだという思いがしきりである。」